2009年2月15日日曜日

Cambodia (2/11 - 2/15/2009)


(Archive from former blog on February 11 to 15, 2009)

2月はカンボジアに行った。 もちろんアンコールワット遺跡を観るため。

アンコールトムを半日かけてじっくりみたんだけど、アンコールトムは、ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡に近いものがあった。



アンコールワットはもっとドラマチックだった。


お堀を渡るかたちになっている参道を歩いていくと、なんとなく身を清められているような気持ちになる。 門までの道のアプローチがすごくいい距離。 遺跡対面までの心の準備をする時間をつくってくれる。 それを神様がゆっくりと上のほうから眺めているって感じがした。
なんか誰かがいるな、って気がした。


「気」がすごくいいのだ。
きっと、建てられた方角がいいのだと思う。
アンコールワットは西を向いている。
寺院は東を向いているんだけど、これはお墓でもあったから。
エジプトと同じ。
西に日が沈む、沈む先は死を意味してる。
エジプトもウェストバンクにお墓があった。
なんか不思議。




美しい女神たち、デバター


12世紀、日本の平安時代のころ、ここに都があって王様と大勢の人々が暮らしていたところ。
仏教とヒンズー教が半分くらいずつ信仰されていたが、アンコールトムは仏教のほうである。
行かれたかたはご存知と思うけど写真にしてしまうとぜんぜん伝わらないね。
敷地の広さとか石像の大きさとか。
3Dで観てみないと難しいなあ…


アンコールワットも含め、11の遺跡を駆け足でまわった。
タプロームも素晴らしい場所だった。

         


ここは映画「トゥームレイダー」が撮影されたところ。
もともと軟らかい石で出来た寺院が放置されていたらガジュマル(の仲間らしい)の木の種が石の間に落ちて、長い歳月をかけてそこから木がニョキニョキ生えてきてしまった。建物はみな崩れそう(半分崩れている) 



どこもかしこもDANGERと書かれた札がある。
「カンボジアは地震ないです」とのことだけど
今地震が起こったら絶対死ぬ。 パズルのように石を組み合わせて積み上げているだけだから。



ガイドをしてくれたソーさんいわく、カンボジアは長く続いていた内戦が治まってからそんなに時間が経っていないのでアンコールワットやその他の世界遺産にみんなが安心して訪れ始めたのもごく最近らしい。 外資ホテルが竹の子が生えるように立ち始め、景気が良くなったと思ったら昨年の金融クライシスでとたんに悪くなってしまった。


日本や韓国、中国が道路を造ったり橋を造ったり、外国人も土地を買える法律に変わったしみんなが商売しやすいようにだんだん元気になってきたけど、政治家がだめなんですと言う。
みんなワイロで動いてるから、役人も、ポリスも、普通の人たちもそうなっちゃう、と。
「ルールがないからいけない。日本はちゃんとした政治家がいて皆の話を聞くからすごいと思う。」
とソーさんはまじめに語る。
いや、日本の政治家はちゃんとしてないでしょ、ワイロも普通に交換してるし、国民は無視してるし、だいたい漢字もろくに読めてないよ? あ、そういうレベルを彼が言ってるんじゃないか。

「でもカンボジアは石油があるから、これからはよくなると思うんです」とソーさん。
もうアメリカの石油会社が来ていて油田を開発し始めているという。
「でもね、タイが石油を狙ってる。 国境の近くの世界遺産もカンボジアのものなのに取ろうとする。」 ソーさんの顔が険しくなってタイの話がここから炸裂。


隣国であるカンボジアとタイ。 タイが出来たのはカンボジアよりあとの12世紀頃。 (スコータイ朝、のちのアユティア朝) その後、タイ人は度々カンボジアに侵攻してきてアンコール朝を滅ぼしてしまう。 タイ語もカンボジアのクメール人が使っていた言葉からきているという。 (そういえば文字が似てる) そういう歴史から今日まで、「なんでも取ってしまう」 という感情があるみたい。
でもタイでは自分達の国が先に出来たと言っててみんな信じてる、でもそれは違うと。
カンボジアは戦争している間にタイはビジネスが成功している (一人あたりの国民所得は、タイが2,000ドルに対しカンボジアは270ドル) それも気に食わないことのようだ。
歴史は長く、話は深いのであった。 また両方の言い分も聞く必要もあるだろう。

最後にソーさんが言った。
「カンボジアとタイの国境にある、世界遺産になったお寺に今度是非来てください。 高い山の上にあってね、ほんとうに天国のように美しいんです。」
山登りは苦手なの・・・と思いながらも
「わかった。 どうもありがとう。」とお礼を言ったのだった。

(ソーさんの言うお寺は「ブレアビヒア遺跡群」にある。

航空写真を観るとマチュピチュのように山の頂上に寺院が建てられてた。)
世界遺産に指定するときに2国はかなりな緊張状態になったようだ。


遺跡めぐりを終えた3日目、シェムリアップからホーチミンへとび、夜中の12時過ぎのベトナムエアで成田へ帰ることとなっていた。

ホーチミンには夜の9時半ごろ到着しゆっくりとしてようとラウンジにいると、アオザイを着たお人形みたいな職員が近づいてきて
「今日のフライトはキャンセルになって明日の朝になります。ホテルへお連れしますので来てください。 」と言ったのだった。

ぎょぇぇぇぇぇーーーーーっ

もう夜の10時をまわったところ、イミグレーションへ行くと、すでにそこには不安な表情の日本人が10人くらい集まっていた。
パスポートを没収されアオザイ係員に誘導され、ホーチミンの空港の外待っているマイクロバスへ。
我々はまだ最初のほうで、ほとんどの乗客は12時過ぎのフライト前なのでこのことを知らずに最後の買物をしているひとばかりの時間じゃないか?・・・ マイクロバスは空港から夜のホーチミンシティへと走り出す。
速道を降りたとたん道路はものすごい数のクルマと数え切れないバイク集団がうゎーーーっと沸いてきたように追いかけてくる。 こりゃすごい。 バイク集団はバスの周りにハエアリみたいに群がってきていまにもぶつかりそうである。 チキチキマシン猛レースどころじゃないよこりゃ。
行き先も告げられず、英語も喋らないドライバーが運転するバスが10分ほど走るとホテルについた。 降りてフロントに行くとここにもアオザイ係員がいて、フロントと口論が始まる。

どうやらベトナム航空から 「これから乗客を連れてくから宿泊させろ」って命令が来たばかりで、でもホテルは 「おいちょっと、急に困るぜ勘弁してくれよっ」 って段取りがまったくできてない状態であったのだった。  まったくらちがあかないまま10人ほどの日本人は黙って待ち続ける。

そういうときアタマに血が昇るとアタシのへなちょこ英語は途端に流暢になるって法則があるのだ。別の人格がうえから降りてきて乗り移ったかのように(アタシは恐山のイタコか)知らないあいだにアオザイとフロントに文句を言いまくってた。

「OK」 と仏頂面のフロントが部屋のカードをくれ、また他のひとたちにも配られ始めて部屋に入ったのは夜中の12時近く。 不幸中の幸いだけど、とってもらった部屋はオーキッドクラブってそのホテルのエグゼクティブフロアだった。

翌朝、飛行機は無事に飛んで帰国できた。 
ロストバゲージも未体験でラッキーだったアタシの旅記録で初めての経験だった。